手技の宝庫に、もう一度触れてみた話「整体知恵袋.com」

こんにちは 整体知恵袋のたなかひろやすです。 ーーーーーーーーーーーーーーー
「均整法は、手技の宝庫である」 ーーーーーーーーーーーーーーー この言葉は、国清仙風 著 『21世紀の整体』 の中に出てくる均整法の紹介文の1節 昔読んだときは、正直 (ちょっと大げさじゃない?) と思っていた。 でも最近、 昔の均整法勉強会のビデオを観ていて ふとこの言葉を思い出した。 骨盤の開閉、 頭頸関節の調整、 捻転の解説、 耳鳴り、鼻水、母乳が出すぎる 脳血管障害後の予後の調整、 各脊髄分節の解説、、、 「均整法って、 どれだけ対応できる範囲が広いんだよ…」 あらためて驚かされた。 名前が挙げた操法の多くは知っている。 勉強会にも参加してきたし、 自分でも実際に臨床で 使っているものもある。 でも── まだ自分の手では 扱い切れないものもある。 【知っている】 と 【できる】のあいだには、 大きな壁がある。 それを実感しながら、 それでもまた動画を観続けてしまう。 不思議と、観るほどに 「まだ学べる」 という感覚が湧いてくる。 先日、X(旧Twitter)で、 お医者さんと思われる方の投稿を見かけた。 「子どものお腹を診ようとしたら、 母親に『そんな原始的なことより、 機械でちゃんと診てください』と言われた」 というもの。 子を思う親の気持ちはわかる。 でも── ワタシには、その言葉が少し引っかかった。 腹診、触診、脈診。 どれも昔ながらではあるけれど、 今もなお、医療や 手技療法の世界に残り続けているのは、 そこに何か確かな意味があるからだ。 ワタシが研鑽を積んでいる 「身体均整法」にも、 病気に対して操法を行う 「類別克服法」というものがある。 昔のものと片づけるのは簡単だけど、 今もなお学び続けている人が いるという事実の中に、 それが 「時代を超えて残っている理由」 があると思う。 古いから、ダメ。 新しいから、正しい。 そんな単純な話ではない。 むしろ、 古くから伝わっているものの中に、 自分の治療観を 揺さぶってくれるヒントがある。 自分にはまだ早いかもしれない。 でも、その「できないこと」を自覚して、 向き合い続けていれば、 ふとした瞬間に、 その操法の意味が腑に落ちるときがくる。 それが、 学び続ける人にだけ訪れる 「自分だけの「発見」であり、 「ごほうび」なのかもしれない。
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今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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